​エレアコ誕生物語(その2)
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 2台にはそれぞれにピックアップが内蔵されているのだが、ギター本体に取り付けられたボリュームとトーンのコントロールのツマミ(ノブ)の形状が違っていた。1台は丸い円を中心にスライドノブがボリューム3時方向、トーン9時方向に円形の周囲を動くというもの。もう1台は、ノブが直線的にスライドするタイプのものだった。いずれもアコースティックギターに“異物”が取り付いたことには違いない。さすがにエレキギターのように表面ではなく、側板に取り付いてはいたが。

 H社長は当時の僕に対してギターの演奏面に信頼を寄せてくれていた。知り合って、具体的に一緒に仕事をしたこともない間柄で、認められていた僕の能力といえば、ギター演奏だけである。僕はプレイアビリティの部分でこのギターへの意見を求められたのだ。僕は回転式のコントロールより直線的なスライドコントロールを支持した。ツマミのポジションで視覚的に度合いが判るし、側板に取り付けた点も、エレキギターのプレイヤーのように演奏中に頻繁にいじったりはしないので、その方式の方が“異物感”を和らげるのでいいと考えた。

 当時、日本国内ではアコースティックギターに対してはタブーがたくさんあった。何もかもがMARTIN GUITARのやっていることが理想であって、それらをどれだけ真似れるかがその他の全てのギターメーカーに課せられた課題だった。MARTINの呪縛はギター造りのあらゆる場面に顔を覗かせた。曰く「塗装はラッカーが良い」、「接着剤はニカワが最高だ」、「ヒールは接がずに1本棹がいい」、「アジャスターロッドは鉄芯の埋め込みがいい」「ピックガードは塗装の下に塗り込むのがいい」・・・などなどである。いまやMARTINもアジャストができたり、ピックガードが塗装の上から貼られたりしている。一時は表面板を4枚に接いだMARTINの45をぼくは見たことがある。

 それはさておき、とにかく封建的なユーザー感覚が根強く鎮座する当時の日本国内において、このピックアップ内臓のギターを売り出すことは容易なことではない。アコースティックギターは、その昔フォークブームによって、ギターといえば黙っていてもアコースティックを指してもらえる全盛期の地位を、とうにエレキギターに追われ、“エレキ”ギターと区別する意味で“生”ギターと呼ばれていた。この“生”と言う言葉が我々に重く圧し掛かってくるのだ・・・。

 プロトタイプギターにはサドルの下にピエゾピックアップが埋め込んであった。ピックアップを表側から吊り上げるため、サドルの両側にネジ穴を塞ぐための丸いドットが埋めてあり、そのギターが決して“生”ではないギターだと言うことを正面から見ても、印象付けていた。それでも異物を取り付ける位置と数には最大限配慮されていた。アウトプットジャックはエンドピンの中央に差し込んで使えるようにしたし、電池ホルダーもネックのジョイントブロックに取り付けられていた。

 

 当時の楽器店には、各都市に地元内では有名な店に生ギターにうるさい人達が一人ずつくらい、それこそ全国津々浦々にいた。東京ならT楽器ののI氏、I楽器のM氏、名古屋ならM堂のH氏、京都ならW楽器のI氏、広島ならK楽器のK氏、福井ならM屋のO氏等など・・・といった具合に、どの人物も生ギターを語らせると、何日でも話し続けられるようなつわもの達で、しかもそれぞれの地元では熱狂的な信者が顧客として、彼らの支持するギターを買ってゆく。

 それらのターゲットに向かって、送り手の立場から新しいマイクの内蔵されたギターを紹介し、理解してもらい、支持を集めるのには骨が折れた。ほとんどみんな、この新しいジャンルのギターの登場に対して否定的なのである。みんなの言うことはほぼ同様に「ギターは生で鳴ってこそアコースティックだ、この鳴りでは使えない」、「こんな不細工なツマミは要らない」、「めったにステージで使う機会が無いアマチュアが、わざわざ鳴りを抑えたギターを買う必要は無い」といった調子で持論を展開し、誕生間もないマイクの付いたアコースティックギターを批評してくれた。

 印象的には、当時の楽器店のほとんどはこんな調子であった。当然のことながら、生鳴りするとハウるのである。すると、マイクを付けたギターは生鳴りをある程度ワザと犠牲にせざるをえない。生ギターに強い店ほどこれらに抵抗感が強い。しかし、このギターは生ギターを弾く人達に使ってもらうために開発されたのだ。このジレンマが、なかなか超えられない壁として立ちはだかった。(注:前述の各氏の中には例外的に飛びきりの理解者もいた)

 

 世間がこのジャンルのギターを受容れるまでに、かれこれ10年はかかったのではないだろうか? それまで僕は本社の開発担当者として、自分の勤める販売会社の全国の営業所を回り、各都市の主要楽器店でギタークリニックと称して、客を集め、ギター演奏(デモ演、商品説明)して回った。楽器店にしてみたら、メーカーが人集めのイベントをただでやってくれるわけだから、これに乗らない手はない。その代わり、こちらの営業担当も店に「わざわざ名古屋の本社から交通費を使ってデモ演に来た」という事を恩に着せて、ギターを無理やり数本取らせる・・・。こんなやり方で、少しずつ店頭に並べていった。おかげでぼくは全国の主だった楽器店は隅々まで回らせてもらった。デモ演をやるのは影響力の大きい有名店だけだが、その町に行ったついでに、中小の店も営業に同行して回るのだ。

 ところが、僕の会社の営業担当も、始めから手放しに僕の味方をしてくれる訳ではない。本社の開発の人間が売りやすい製品を作ってくれたら営業は何も苦労しなくてもいいのだ。半年に1度くらいしか来ない本社の人間よりは、毎日会う自分の担当する店の従業員との方が仲がいい。彼らはみんな音楽が好きで業界に入り、それぞれ、楽器店、販売会社と立場を違えて行ったのだ。中には同じバンドのメンバー同士で仲のいい人たちだっている。みんな自分の意見として、そのギターが売れるかどうかに対する「判断」がそれなりにある。 

 彼らは本社から来る開発の人間が、いったいどういう考えでこんなギターを造ったのか責めたがるのだ。「売れないのは、そのギターのせいだ。自分の販売力のせいではない。やれるものなら、店の連中を直接説得して見せろ」といった具合である。こういった雰囲気の世界に単身飛び込んで、ひとりひとり説得してゆくわけだ。

 そんな中、僕は各地でギターソロのフィンガースタイルでデモ演奏をやりながら、ずっと不本意に感じていたことがあった。それは、このやり方では“本当のエレアコの良さが表現できていない”という事である。なぜなら、基本的にアコースティックギターにピックアップが付いたメリットはアンサンブルで初めて発揮されるはずだ。それが判っていながら、予算の関係で僕が一人で商品説明し、演奏もする・・・。楽器店は基本的に商品自体には理解を示さないが、遠くからデモ演に来てくれたのだから、義理でその時限り数本のギターを仕入れてくれている。そんな情けない状況をわかっていながら長年クリニックを続けた。

 ある時はキチンとした会場で(冒頭の写真は当時の開発担当者が全員揃っての説明会風景だ。)ある時は楽器店の店先やスタジオの中で、またある時は百貨店の楽器売り場の正面のエスカレーター前で、来る日も来る日も演奏を続けた。ある年などは年間でホテル泊が60回を越えた年もあった。

 何か釈然としない気持ちが続いた毎日だった。楽器店に行ってギターを弾くことは僕の仕事だろうか? 僕が人前での演奏に耐えうるプレイができることは、会社にとってはたまたまの事である。そんな偶然に頼った、こんな販売施策を求められる状況に対し、常になにか漠然とした不安な気持ちが拭えなかった。楽器業界は狭くて小さいのである。そして、ターゲットの客層と言えば、移り気なティーンエージャー達である。ここは非常に不安定な業界である。  

<エレアコ誕生物語 (その3)に続く>