野球チーム「D」とギターメーカー「M」の格の違い
これは球界の有名人との記念写真である。ぐるりを取り巻く面々は楽器業界のお歴々。場所は名古屋でも一流と名高い“Mホテル”の大披露宴会場。この頃、写真のH氏はプロ野球チームDの現役監督であった。翌日にはグアムキャンプへ向けて旅立とうという、忙しい最中の2月のとある日のひとコマである。
この結婚式の一方の主役である新郎は、某有名ギターメーカーの御曹司であった。僕はそのメーカーと取引していた関係で、息子さんと仲良くなり、たまたま僕が会社を代表して結婚式に招かれた。
何でH監督(実は球団社長まで)が来ているのかというと、この日のもう一方の主役である新婦の職業がD球場の“うぐいす嬢”だったのである。うぐいす嬢もれっきとした球団職員だそうで、何でも新婦はキャリアが長くうぐいす嬢の中でもベテラン格で、H監督が現役のピッチャー当時から可愛がられ「お前の結婚式には必ず出席する」と言ってもらっていたそうである。
しかし、この辺の有名人になるとシーズンオフのスケジュールは多忙を極めるようである。結婚式ではよく出席者の配席表が配られる。僕は事前に新郎からH監督が来ると聞いていたが、H監督はシーズンオフともなると大勢からこの手の誘いを受けるので、多忙を理由にすべて断ってあるそうだ。ましてやこの結婚式当日は海外キャンプ出発日の前日にあたる。事前に出席の予定が組んであったことが他のお断りした人達に漏れると困るので「配席表には名前の印刷はしないでおいて欲しい」と頼まれていたそうである。当日はあくまでも「急に時間が取れた」ので参加してくれたのだそうだ。
それにしてもこの結婚式会場の雰囲気が面白かった。新郎側の出席者は楽器業界の取引先、新婦側は親族を除いては全員が球団関係者ばかりで、球団社長、監督以外にも役員や、元選手、元捕手で解説者のK氏だの、うぐいす嬢の後輩たちだの、“有名人”があちこちに列席しているのである。つまり会場が新郎側と新婦側で、ただの一般人側と有名人側に二分されているのだ。
ところが残酷にも式の進行は新郎側来賓が新婦側より先に祝辞を述べなくてはならない。その栄えある一番バッターに指名されたのは、新郎が自営の立場上、大手取引先会社の専務(冒頭の写真の僕の隣の人物)にその“大役”が回ってしまった。指名されたA専務が立つそのすぐ目の前にはN球団社長が、H監督が座って挨拶に聞き入っている・・・。あわれ、楽器業界ではそれなりの大手貿易会社の専務さんであろうとも人の子、あがってしまって気の毒なくらい緊張したスピーチを展開していた。次に新婦側はN球団社長の挨拶。それが終わるとまた今度は新郎側、といった具合に新郎側と新婦側の来賓挨拶のキャッチボールが始まり、素人が次々と壇上に祭り上げられ、痛々しく緊張するさまを見せられた。
注目のH監督のスピーチなどは(何を話していたか覚えていないが)いきなりの第一声が、「○○子、おめでとう!」である。何の緊張も無い涼しい顔で発したこの一言で、会場(300人位?)の空気をすべてまとめてしまった。あの雰囲気は忘れられない。別にH監督がすごかったのではない。自分たちが勝手にそのように受け入れただけなのだ。
僕はこれだからギターを弾く場合でも、有名になることは絶対に必要な事だと思う。観客が勝手にイメージを膨らませ、好意的に自分の演奏を受けいれてくれる“空気”を先に創っていてくれたら、こっちはそれに乗ってゆけばよい。こんなありがたい状況はない。
H監督は披露宴の始めの方で話し終えたから、すぐに明日に向けての準備を理由に帰ってゆくのだろうと思っていた。そこで僕は今のうちにと席まで行って、式の最中に記念写真を撮りに行った。僕の姿を見て「あいつ、うまくやりやがて」と会場のあちこちでうらまれたのは間違いない。その後、僕の行動を皮切りにH監督の席に列ができた。
そうこうしているうちに、我ら新郎来賓軍団代表のこの日の痛々しいエピソードが待ち受けていた。僕は何の出番も無い日だったので、なんら緊張感もなく手持ち無沙汰にトイレ行った。すると同じ結婚式に参列しているのだろう、とある40代後半くらいの怪しいおっさんが一心不乱に洗面台で顔を洗っているのである・・・。地味な顔つきで、いい歳なのに髪型が長髪気味でミスマッチな雰囲気である。頭をスゴク強く振って、結婚式用に着てきたせっかくの礼服の上半身が水浸しになるんじゃないかと思い、「変な奴が呼ばれているんだな」と思って見過ごした。
席に戻ってしばらくすると、司会者が地味な一般人ばかりの挨拶が続く新郎側の起死回生のチャンスを盛り上げるため、少々大げさ気味にこう言った。「新郎は日本でも有名なギターメーカーの後継者です。ここらで一曲、その新郎が作ったギターの演奏をお聞きいただきましょう。演奏は、中部■△ギター連盟の×○さんです。」とやった。
そこへ颯爽とギターを片手に登場したのがさっきのトイレの“怪しいおっさん”であった。僕は「あっ、あれはギター弾きだったのか」と心の中で呟いた。僕は既にあの姿を、トイレでの彼の動作を目撃している。あのとき彼は出番を間近に控え必死に緊張と戦っていたのだ。3時間を越える長丁場の披露宴の、中盤を過ぎたあたりに呼ばれることになるおっさんは、さぞかし緊張のボルテージを高め、重圧と戦っていたに違いない。目の前に酒がどんどん出されるのだ、少しくらいは飲んだに違いない。そうして揺れ動く心を静め、逃げ出したくなる気持ちに勇気を取り戻させるためトイレへ駆け込んていたのだ。
「がんばれおっさん!! 相手は素人だ。しかも体育会系の連中ばかりだ、安心しろ。」と言ってやりたかったと同時に、替わってあげられればよかったとも思った。何とかここらで新郎側も一矢報いたいではないか。
残念ながら当時の僕はまだ新郎との仕事の付き合いが短く、新郎は僕がギターを弾けることを知らない。まあ、仮に知ってたとしても今回の場合、中部■△連盟の肩書きを選んだかもしれない・・・。ともあれ、おっさんは足台に左足を乗せ、宙を睨み、ガチガチに強張った手で演奏をスタートさせた。
その曲名は知らないが、途中、明らかに素人達にもそれと判るように、5フレット位の範囲にわたるスライドの着地音が半音手前にズレて中途半端な余韻を響かせ、すぐさまおっさんはしかめっ面をし、このミスは会場の全員気が付いた・・。始めから終わりまでギクシャクして息苦しかった演奏は、その後それ以上のミスはなく終了した。結局、この日の会場内を取り巻いていた新郎側にとって非常に不利な“空気”の重さを、ギター演奏も掃うことはできなかった。
新郎の家の工場が誇るギターブランドは、ギターメーカーとしては明らかに国内では野球チームで言うところのDより格上の会社である。それがこの日の出席者にスマートに伝えられなかったのが残念である。終始、新郎側全員が宙を舞うような気分で披露宴を終えてしまい、H監督は3時間以上に及ぶ披露宴を最後まで見届け、颯爽とベンツに乗って帰っていった。
翌日のスポーツ新聞には「D」、V奪回に向けてキャンプに出発”と書いてあったかどうかは確かめていない。僕は「G」ファンである。