​フュージョンギタリスト、しかもフィンガースタイル
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 EARL KLUGH は70年代中頃から注目されだした。しかし自分をメインとしたソロ活動に入る以前、それこそ16歳の頃からレコーディングには参加した経験があるらしい。その名が世界に知れ渡った頃は、まだ若干20代の前半のことである。このPhoto&Essayにはさまざまなミュージシャンが登場するけれど、彼、EARL KLUGHは僕にとって複雑な存在である。

 僕の興味はスティール弦のアコースティックギターのフィンガースタイルである。彼はナイロン弦ではあるが、アコースティックを弾く。フュージョンではあるがフィンガーで弾く。・・・なんか気になるようなならないようなギタリストなのである。

 この頃、彼らの音楽は“フュージョン”ではなく“クロスオーバー”と呼ばれていた。ラリーカールトン、リーリトナー、アルディメオラらがその代表選手として次々登場し、その中でもEARL KLUGHガットギターで出てきたことで注目を集めた。ただし、聴きやすい音楽性ゆえか、当時クロスオーバーと呼ばれるにはジャズの要素が必要とされていたのだが、「これはイージーリスニングだ」という評もあった。ともあれ、「メロウ」などという形容詞がはやり始めたのも、この人のギターサウンドを称してのことだった。当時の彼は、GEORGE BENSONのバックミュージシャンの下積みを経てスターダムにのし上がった、バリバリのフュージョンギタリストである。

 この写真は、EARL KLUGHが宿泊していたホテルの部屋を訪ねた時のもの。もちろん日本(東京の、ホテルはどこだか忘れてしまった)である。握手した時の手の柔らかかったこと、背は僕(180cm)とほとんど変わらないが、指の長さは、少し長かったような気がした。 

 この日はホテルで会って話しただけだったが、その数日後、名古屋のコンサート会場で再開した。その日はリハーサルから本番まで全部見させてもらったが、感心したのは、彼が冗談交じりにピアノで、自分の曲をバックのバンドとのリハーサルで弾いたこと。彼はギターだけではなくピアノも結構やれるのだ。それともうひとつは、本番の呼び出しがかかる少し前の事だったが、楽屋にギターを持ち込んで指慣らしをしていたのだが、その時にラグっぽい曲を弾いていたのが大変興味深かった。

 そんな彼は、当時から「ギタープレイヤー」誌や「アドリブ」誌のインタービューとかでも、常に尊敬するギタリストとして一番にチェットアトキンスを挙げていた。そのことに僕も共感を持って、フュージョンとはいえ彼の音楽を好意的に聴く気にさせた。アルバム“MAGIC IN YOUR EYES”の中では“GOOD TIME CHARLIE GOT THE BLUES”という曲で、そのチェットアトキンスとの競演を実現している。なんでもチェットのホームタウン、ナッシュビルまで出向いていって録音したそうだ。この曲の、ほのぼのとした二人の演奏は実にいい雰囲気である。

 こんなHPを作っていてこういうのも変だが、僕は昔からあまりギターソロの音楽や、そのアーティストの情報に関心を持ってこなかった。音楽に凝る人、あるいはギターに凝る人は、いろんなことに凝りやすい。僕の友人でも、たくさんのギタリストのレコードを片っ端から買う人が多い。僕はいつもそういった連中から話を聞いて、そこで当たりはずれの評価の出たものの中から、当たりだけを買うという都合のいい買い方をしていて、ギター関係のレコードコレクションはせいぜい100枚くらいのものだろう。

 ジャンルを問わないコレクションは500枚くらいになってしまったが、その中にはアグネスチャンのアルバムもあるし、教室をやっていた都合上、仕方なしに買った興味のないフォークシンガーのアルバムも多数ある。大きく分けてギターを弾くための参考として買うアルバム。その他は聴くためのアルバムである。例えはEAGLES、DOOBIEなんかは全部ある。

 

 こういっては何だが、アコースティックギターのソロ演奏のレコードは退屈なのが多い。退屈せずに1枚全部聴けるレコードなんて、ほんの一握りである。僕は思うのだが、僕らの好むこのスティール弦のフィンガーピッキングソロというジャンルは、そもそも自己満足的な部分が強すぎるのだ。

 ステージでは話を挟んだり演奏を直に見せられる視覚的な面も手伝って、聴衆の注目を集めておくことはなんとか可能だが、レコードでソロの演奏を退屈させずに1枚分全部聞かせるのはかなり難しい事だと思う。多分これらの音楽をずっと続けて来たギタリストというのは、ある面で不器用な人が多いのではないだろうか。

 プロにはエンターテイナーとしてのパフォーマンスが要求されるのだ。観客を楽しませる器用さがあってしかるべきだ。しかしソロのギタリスト達は自分の殻に篭ったような演奏を黙々と続けるような態度の人がけっこう多いようにに思う。ブルースコバーンというシンガーソングライターがカナダにいる。この人は歌がうまいし、曲もいい。そしてギターインストもたまに弾く。初期の何枚かのアルバムでは必ず歌の合間に数曲のインストが入っていた。またこれらのインストの曲がまた完成度が高くて非常にアルバム全体の中でいい存在感を持っている。ギターがうまいのは当然の事ながら曲がいい。これこそがプロのアルバムだと思う。1枚全部が退屈せずに聴けるのだ。当然ながら、この人のコンサートは大ホールで行われ、観客数が違う。僕としては、このレベルの才能を見せてもらって初めて憧れのアーティストだと言いたい。

 

 きっとEARL KLUGHもそんなレベルのプレイヤーなのだ。だからチェットを憧れの人と言いつつ楽屋でもそうした音楽を取り上げる傍ら、自分のプロ活動はこのような形で表現しているのだと思う。今の時代、EARL KLUGHのような音楽形態が存在することにはなんら問題なく実現しているが、ひと昔前ならガットギターの音色をステージで電気楽器と同時に再生することの難しさは並大抵のものではなかった。彼が登場する少し前くらいで、ようやく機材の進歩の面でこういった音楽の実現性が整ったと言える。

 それらの機材の実現ゆえに成立する独創的な音楽を持ってシーンに登場してきた点では、ジャンルは違えどもマイケルヘッジスも彼と共通していると思う。