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​そのカナダのギター製作家は、大の飛行機嫌いだった
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 日本で初めてLarriveeと言うギターを取り扱う事になった。まだ日本で知られている海外の生ギターと言えば、MARTIN、GIBSON、GUILDがせいぜいで、他にはあまり知られたブランドがなかった時代である。(あと、ギャラガ-とかモスマンというのもあったなあ。)当時僕はカナダのサプライヤー(輸出元)の人がLarriveeを持って日本に来た時、既にそのギターのことを知っていた。その理由は、僕の大好きなアーティストのひとりBRUCE COCKBURNが弾いているのを知っていたからだ。しかも、BURUCEはLarrivee氏の友人だという事も知っていた。

 

 自分の知っているあらゆるそれらの話を通訳を通してさサプライヤーの社長にしてやると、彼は日本にこんなにLarriveeを知っている人間がいる事に驚くと共に大変喜んでいた。その後、彼と日本中の主要な都市の楽器店を巡り、このギターのすばらしさを説いて回った。この写真は日本でLarriveeを扱うようになって半年か1年くらい経ってから、初めてカナダの工房を訪問した時のものだ。この時の訪問記をある雑誌に記事にしたのが冒頭の写真である。

 

 最初、日本でこのギターを取り扱う事を決めた時、価格設定が難しかった。前述の通り日本で紹介されている海外のギターは数がしれている。僕にとっては手工ギターとしての品質の高さと音の個性は、当時のGIBSONやGUILDより、ある意味ではMARTINよりフィンガーピッキングで弾く上では評価できるものだった。しかし当時のMARTINは一種神格化されていて、それ以上の生ギターはこの世に存在しないかのように思われていた。当然、後発の名も無いカナダ製のギターはMARTINの価格を上回ってはならない(売れない)のだ。

 

 しかも当時国内は、アコースティックギターをフィンガーで弾く人間はほとんどいない時代で、楽器店に持って回っても、どこの店員さんもピックでジャカジャカ弾いては、音がどうだの形がどうだのと感想を述べる程度の状況である。

 僕が日本国内用に初めて作ったこのギターのカタログは、今まで多数の楽器カタログを手がけた中でも、我ながら気に入っているものの上位の仕上がりだ。表紙は真っ白なページに、ギターのヘッドのみの写真を使い特徴であるインレイを際立たせ、本文ページはすべて黒バックで、このカタログ中、ギター写真以外の色はほとんど使わなかった。

 そしてキャッチコピーでは“目にも耳にも美しく”という言葉を使った。これはルネッサンス時代の楽器に彫られたり書かれたりした「目にも耳にも等しく美しく」という言葉を使ったものだ。楽器は耳で聴くために作られる。しかし、例外なく名器は見た目も美しい。また、美だけを追求しようとすると、時として音を犠牲にしてしまう。それゆえにこの言葉は楽器造りにとって奥が深い。このカタログは海外でも好評で、後に海外版でもこのレイアウトを模している。

 初めに日本に入ったギターはそれぞれ違ったスペックのギターが4本で、カタログ用に撮影した後、シングルカッタウェイのモデルは中川イサトさんに、次にそれと同等のスペックでノンカッタウェイのを夕焼け楽団の久保田麻琴さんに、もう1本をその同バンドメンバーの井上けんいちさんに持ってもらう事とした。

 彼らは田中汪臣さん(ジョンレンボーンのエッセイ参照)の紹介であった。結局、日本発売当初はイサトさんの影響を受けた連中ばかりが買っていて、シングルカッタウェイが圧倒的な人気機種だった。(イサトさんがKMPから発売した、“ミスターギターマン2”の表紙に持って登場してくれた影響が大きい) ただし、当時のLarrivee Guitarにはひとつ腑に落ちない事がことがあった。それは、ネックの異常な太さだ。

 バンクーバーからフェリーに乗って約4時間、ビクトリアという小さな島に着くと、バスターミナルまでLarrivee氏が車で迎えに来てくれていた。日本で見ていた写真は髭モジャで、いかにも職人という感じの風貌であった。しかし、目の前にいる本人は髭も無く、えらく人懐っこい愛想のいい人で拍子抜けした。僕の予備知識では、Larrivee氏はエドガーメンヒというクラシックギターの制作家の弟子で、そのエドガーメンヒという人は何年か前、子供が事故で亡くなってショックで自殺したと聞いていた。

 まず自宅へ案内され、彼の奥さんがデザイン(彼の奥さんは美術系の大学を出ていて、ヘッドのインレイはすべて奥さんがデザインする)したデッサンをたくさん見せてもらった。そして彼の家には地下に写真スタジオがあって、彼は新しいヘッドのインレイデザインを施したギターを完成させるたびにそこで写真に収めていた。

 次に工房へ案内してもらい、夜にはインド料理の店でご馳走になった。夫婦は1年に一度BRUCE COCKBURNがビクトリアに演奏に来て彼らの家へ泊まる時、いつもこの店に一緒に来るそうである。いろんな話をしたけれど、その中でも特に確かめたかったことがふたつあった。ひとつは日本に来て、一緒に主要楽器店を回ってギターの紹介をしてほしという要望。これにはひとつ大きな壁がった。サプライヤー曰く、「彼は飛行機が大の苦手で、行ける所なら何日かかってでも車で行く」のだそうだ。その事をこの日、本人に直接聞くと確かにそうだった。サプライヤーの言ってたことは嘘ではなかったのだ。

 そして、もうひとつどうしても聞いておきたいことがあった。何でこんなにネックが太いのか?これは僕の前でこのギターを弾いた者のたいていが同意見だし、僕自身もそう思っていた。そのことについては、サプライヤー曰く「このギターは多くの一流スタジオミュージシャンの意見を聞いて今の状態に完成した」とのことだったのだが・・・。

 「Larriveeさん、やっぱり日本人は手が小さいので、その辺はしょうがないのでしょうかね?」と気を悪くしないように恐るおそるの質問に対し、その時の彼の返事には仰け反った。「ああ、あれはベースボールバットだった。今は改良して弾きやすくなったよ」と、アッケラカンと言うのである。あんな高価なギターを何本も日本に輸入してきたというのに・・・今のは改善んしたのかどうか知らないが、前の分の在庫はいったいどうしたらいいのだ?! ・・・この辺は職人さんの純粋な性格だからこその偽りの無い回答だったようだが、あのサプライヤーはやはり商売人。飛行機嫌いは本当だったものの、一流スタジオミュージシャンの話しはいったいなんだったんだ?

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