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​幻の名ギタリスト、トサカ君は今・・・
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 先のページの集合写真で、前列中央に座っている僕の斜め後ろでハンチング帽をかぶっている少年がイサト教室時代の岸部眞明である。これは合歓の郷で行った大阪と名古屋のギター教室の合同合宿のひとコマである。

 時は1980年代の後半頃だろうと思う。上の写真でチョット茶髪ぎみの首をかしげた青年は僕が名古屋の教室から連れて行った当時の生徒加藤政彦君だ。彼は後にCDも出し、オリジナル曲「あたしは不幸を呼ぶ女」は憂歌団の木村さんもしばしばステージで唄っているという。CDには有山(じゅんじ)さんや、石田(長生)さんらのコメントも寄せられている。ここら辺りの登場人物からして、彼の奏でる音楽は想像いただけると思う。

 加藤君が僕にギターを習い始めた時は高校生だった。ひと頃、大学を出る頃には、僕が当時2軒掛け持ちしていたギター教室のうち、1軒を彼に任せたこともある。その後、彼は就職し、ほとんど会う機会はなくなったが、風の便りにLIVE活動をしているうわさは聞いていた。

 彼が好む音楽性までは責任を持てないが、ギターテクニックだけは僕が教えた事を下地にした延長線上で今も活動しているようだ。彼に教室を始めさせる時「ただ、譜面どおりうまく弾けるだけでは、人に教えるには心許ない。」ということで、自宅へ呼んで一般的な教室ではなく(当時僕の教室は、大阪のイサト教室に倣って、グループレッスンだった)個人レッスンを施した。その時、一緒に多くの曲のアレンジにトライしたのだが、その中の1曲に「ゲゲゲの鬼太郎」があった・・・。この曲は加藤君が好んで弾いたのをきっかけに、後に何人かのプレイヤーの目にとまり、様々なステージで登場したようである。

 

 この時の合歓での彼の発表曲は(全部は忘れたが)1曲はもちろん「ゲゲゲの鬼太郎」そして、もう1曲は完全に彼が一人でアレンジした曲、横浜銀蝿の「ツッパリ ハイスクール ロックンロール~登校編」という、ロックンロール曲をインストで弾いた。

 これは参加者に大うけした。「さすが、名古屋の僕の教室はレベルが高い!」と大阪から来たイサト教室の生徒さん達が思ったかどうかは定かではない。しかし、当時まだまだフィンガースタイルのギターが物珍しかった時代。マニアックな曲の世界にばかり浸るのではなく、こういった曲をアレンジして誰にでも面白く思って聴いてもらうサービス精神はあっていいと僕は考えていた。

 当時、兄貴が大阪でイサトさんに習い、弟は大学の関係で名古屋にいたので僕に習っていて、互いに教材の譜面を交換していた兄弟などもいた。大阪の連中には名古屋の僕の教室の内容は未知であり、それまでも僕が合歓に連れてゆく生徒は本格派、変則(チューニングではない)タイプなどさまざまである。きっと連中は教室の内容を測りかね、想像は膨らんだに違いない・・・。

 ところが、である。

 この時の合歓にはトンでもない逸材が大阪から参加してきていた。それが、このエッセイのタイトル「トサカ」君(本名は忘れた)である。髪の毛が鶏冠のように立っていたから、合歓に来たこの日からみんなにトサカと呼ばれる羽目になってしまった彼は、およそギターインストを弾くような人種には見えないファッションセンスの持ち主でもあった。しかも、演奏がこれまた外見に負けず劣らず個性があった。この日の参加者達は、彼の登場によって加藤君の演奏もやや影が薄れてしまったほどの強烈なインパクトを受けた。

 さてトサカ君はいったい何をこの日弾いたのか? たしか彼は6弦をDに下げたと思う。そして、おもむろに弾き始めた・・・。よく、聴き馴染みのあるイントロである。但し、このメロディは日本国民は皆ピアノで聴き馴染んでいる。「もしや」と思ったその刹那、彼はマイクに向かって明るい声で(歌うのではなく)語り始めた。「まず最初に、腕を前から上にあげて、背伸びの運動から・・・。」という調子である。

 なんと、彼はこの調子でまじめな語り口を付け加えながら、ラジオ体操第1を弾ききったのだ。・・・その場にいた全員、笑い転げながら聴いて楽しませてもらったが、そのアレンジの正確さにも感心させられた。

 

 後にアコースティックギター界では嘉門達夫が、いろいろ笑わせてくれる曲を数多く提供してくれたが、僕は仕事で彼に接触があったので、嘉門達夫のコンサート会場へは何度も足を運び、観客の大爆笑も見てきたが、トサカ君の笑いもこれと全く同じ種類のものである。また、この種の笑いは、ネタが知れ渡ると聞く側にとっては、やがて面白くなくなってしまうという残酷な状況が生まれる。それをあえてギターインストで行うことの労力は、嘉門の曲の比ではない。トサカ君あっぱれである。

 実はトサカ君はこの日、イサトさんにはまったく認められずに夜、部屋で泣いていたそうである。イサトさんは生真面目である。もちろんラジオ体操のアレンジを協力したはずは無いだろう。特にギターを茶化すのは許せないのかも知れない。あるいは、もっと深い部分で何か考えがあるのかも知れない。その辺、僕は突っ込んでイサトさんと語り合ったことは無い。

 ともあれ、トサカ君は大阪のイサト教室ではストレンジャーだったのである。その日彼は、ツッパリ ハイスクール ロックンロール~登校編の加藤君と意気投合したことは言うまでも無い。「名古屋の教室に変わろうかなァ」と、九州出身で特に大阪に愛着の無い彼は、帰り際にしんみりと呟いた・・・。

 そんな名?ギタリスト、トサカ君達が主役をさらったこの時の合歓の郷合宿に参加していながら、その後もブレることなくフィンガースタイルギターの本格路線で成長を遂げた岸部眞明。そしてもう一人、さまざまなタイプのギタリストにインスパイアされ、虎視眈々と自分の出番を掴んでアコースティックギター界のメジャーシーンに登場してきたのが、上の写真で僕の右隣にハードケースを持って写っている青年、押尾コータローである。

 この時、彼と一緒に写真に納まっていた事も僕には記憶が無い。彼がメジャーデビューして、この時以来の再会のとき、合歓で会った時のことを話してきたので、家で写真を調べたらこの写真が出てきた。僕にとっても楽しい思い出の多かった合歓ではあったが、彼にとっては、この時の合歓の一部始終は大きな人生のターニングポイントとなっている。彼にはトサカ君の分までがんばってもらいたいものである。

 この時の合歓以来、トサカ君の消息は聞かない・・・。

 

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