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​ワールドカップ共催国、韓国のギター業界(後編)
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 上の写真でサインしている人物は韓国で当時No1のロックギタリストらしい(名前は忘れた・・・)。この場所は韓国で開かれた初めての楽器フェアの会場である。知人の韓国ギターアンプメーカーの社長が出展したブース(展示区画)内で、アンプのデモ演をやって欲しいと頼まれ、この日何回かブースの前で売り物のギターアンプを通してギターを弾いた。僕はエレアコで、そしてこの韓国No1君はエレキでふたりが交代で演奏した。

 このNo1君は確かにそこそこエレキギターがうまかった。韓国を舐めるわけではないが、やはりポピュラー音楽は日本より随分遅れている。その中にあって彼は海外(アメリカか、イギリスか?)にも一時住んでいたり(だから英語で話ができる)、当時、日本で一番元気のあったロックバンド、ラウドネスのギタリスト高崎晃も友達だと言っていた。僕がロックに興味がないから知らないだけなんだろう。きっと高崎晃に聞けば彼の名前が判るのだろう。

 話は全然違うが、ラウドネスのギターは知らないがドラムの樋口なら、昔、彼が高校生のアマチュアだった頃よく知っていた。よく僕のことを「お兄ちゃん」と言っていたが、まさかあの彼がその後レイジーというアイドルバンドを結成し、デイビーとか何とか歯の浮くようなニックネームを冠せられデビューした時には驚いた。その後、ラウドネスでご存知の通りの大ブレイクである。

 話は戻って、このNo1君。僕の演奏を聴いて「Oh! You are American Style」などと言って、すぐさまそれなりに僕のギターを判別した点はさすがだし、彼の演奏も一人でエレキギターをソロでやるのだが、ちゃんと自分の音楽であるロックを基調に、トレモロアームやエフェクターを駆使して様になる演奏を聞かせてくれた。

 その力量は確かに韓国でNo1も本当なのかもしれない。おまけに彼はしつこく僕に日本人の彼女が欲しいと、この日そればかり言っていた。確かに筋金入りのロックミュージシャンである。このアンプメーカーの社長は、その日、彼らをバンドで呼ぶほど金を出せないながらも、No1君と社長は学生時代の友達だからということで、この日No1君だけが友人のアンプの宣伝に来てくれたというわけだ。

 この二人のサイン風景を見て欲しい。彼が有名人なものだから、この日、その彼と同等に扱われている僕を見てみんな「きっとこの人も日本で有名な人なんだ」と思って、サインをもらいに列を成す・・・。(いいのか?こんなことやって韓国の青少年たちをだまして・・・。)

 

 ともあれ韓国には懐かしい思い出がたくさんある。ある時は、日本の取引先商社のO社長と偶然に韓国で出会い、その日の夜、食事をご馳走してくれることになった。O社長の会社は、現地に日本人のスタッフK氏を常駐させていて、自分の輸入する商品の品質管理をしていた。O社長とK氏がその夜、僕の泊まるホテル(僕はいつもリバーサイドホテルというところを利用していた)まで迎えに来てくれ、その近くの店でご馳走になった。

 その後、ホテルに向かって歩いて帰る途中、しつこい客引きがK氏に付きまとった。K氏はもちろん韓国語が話せる。僕とO社長は知らん顔でさっさと歩いていたのだが、K氏が「面白そうな店があるから、もう1軒寄っていこう」ということになった。その店はリバーサイドホテルの向かいの道沿いの地下にあった。入って1時間程度の間に、一人当たりビール1本と牛乳(なぜが韓国では、安い店では酒を飲む時、牛乳が出る)に、おつまみ1品程度が出てきて、帰ろうとしたら請求金額は20万円位だったらしい。(らしいと言うのはO社長がクレジットで払ってくれたから見ていない)一旦は店を出たが、「もう一度引き返す」と言って、O社長は怒りの収まらない様子だった。

 結局、「つまらない店に引っ掛かってしまった恥ずかしい出来事なので、日本へ戻っても誰にも話さないでおこう。」という事になり、僕もその後この話を思い出すこともなかった(自分が支払っていないせいもあるか?)・・・。

 それから再び半年ぶりにリバーサイドホテルを利用する機会があった。今度は地元韓国のLさんが夜、ホテルへ迎えに来てくれて、歩いて食事をしに行く途中、例の店の前にさしかかった・・・。するとLさんが僕にこう言ったのだ。「ここは暴力バーですから気をつけてください。半年くらい前にも、日本の楽器業界の人達が引っ掛かって、ひどい目に会いました」と。オイオイ、それは僕らのことじゃないか?いったい誰が漏らしたんだ?この話・・・。何はともあれ、楽器業界の世界は狭く小さい。

 

 そうそう、前編のK社長のその後のことを書いておかないといけない。もちろん僕はもう楽器業界とは深く縁がない、従ってこれは当時行動を共にしていた人物から聞いた話だが、K社長は韓国を離れ、ある国で、またギター工場を経営しているそうである。大勢(確か600名とか聞いたはず・・)の従業員がいる工場をどのように清算したのか?新天地でいったいどうやって基盤を創り上げたのか?僕にはその苦労は計り知れない・・・。やっぱりギターは弾いて接しているのが一番いい。

 時代は今や、映画やドラマなんかで韓国の作品を目にすることもすっかり珍しくなくなってしまって久しい。No1君は今頃どうしているんだろう?

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