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​師匠とのビデオ出演(前編)
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 これは1992年にKMPから発売された「エレクトリック・アコースティックギター基礎知識」というビデオのひとコマ。このビデオは、エレアコの種類・使い方の解説と、デモ演奏2曲の構成になっている。僕はこのビデオの中でピエゾピックアップの解説と、演奏2曲(イサトさんとのデュオ)を担当して、全45分中3分の1くらいで登場している。収録は発売前年の秋頃に行った。もう記憶は確かではないが、僕がイサトさんから参加を求められたのは、その年の春か、夏頃だったと思う。 

 

 このビデオが企画されたこの頃は、既にエレアコは立派にアコースティックギターの主役の座を担う立場になっていた(エレアコ誕生物語Ⅰ~Ⅳ参照)。しかし、ピックアップのタイプや、ギターへの取付け方には、各社さまざまな違いがあり、メーカー側も、プレイヤーの側もそれぞれに対してキチンとした評価が定まっていたわけでもない。そんな中、この時期にイサトさんが企画したこのビデオの試みはタイムリーなものだった。イサトさんはプレイヤーの立場から、アコースティックを原音に忠実に再現するピックアップシステムの追求という点においては、当時間違いなく国内で第一人者であった。

 そして、そのシステムを作った三好君(のちにMファクトリーを立ち上げる)自身もこのビデオに解説で出演している。彼らの超マニアックなシステムと、既にディファクトスタンダードを握っていたT社の立場側から僕が参加していれば、面子的には文句のないメンバーだ。それぞれの立場の代表が一同に集まってエレアコについて解説するというのがこのビデオの目的である。

 ギターを買う前に「このビデオを参考に見てから買おう」などと几帳面な考え方をするプレイヤーがどの程度いるのかは僕には疑わしい。僕なんかは教則ビデオですらあまり買う気にはならない。そもそも憧れのプレイヤーが教則目的に弾くのではなく、作品として弾いているそのときに魅力を感じるのであって、いちいち演奏を途中で止めて堅苦しい解説をかしこまって話しているプレイヤーの姿には、憧れを感じない。そういう意味では、道具を説明しているという点においてこのビデオの役割は非常に正しいと思う。イサトさんの普段のステージとは違った面が見れるという点においても、ファン必見の作品ではないだろうか。

 

 僕とイサトさんの間柄は先生と生徒で始まった。実際に習ったのは10ヶ月だったけれど、僕の音楽人生の中で一番刺激的で、密度の濃い充実した時間だった。当時、僕が大阪に住んでいて梅田ナカイ楽器でイサトさんがスクールを主宰していることを知ったとき、既にスクール開校後半年が経っていた。

 有名プロが直接教える当時希少なこのスクールには大阪はおろか、他府県からも猛者たちが集まっていた。知ってすぐに門をたたいた僕は、入門から半年くらいで教室のトップに躍り出た。つまり、出される課題をどんどん消化していって、僕がスクールの中で出される課題曲を一番最初に教えてもらうという意味で先頭に立ったのだ。その頃から、新しい課題も僕がリクエストして先生にせがむようになった。この頃は毎日最低5時間、多い日で10数時間ギターを練習した。いくら弾いても飽きないし、どんどんうまくなってゆく。そんな状況を見て周囲が楽しんでくれるのが心地よくて、さらにのめりこんでいった。そんなある日、イサトさんが僕に言った「教室は20曲で卒業にしよう」・・・。あの頃、毎週1曲新しい教材を求めた僕は、師匠にとっては迷惑な生徒だったに違いない。コンサート活動の傍らスクールの教材を作っていたイサトさんにとって、相当な負担だったことと思う。

 

 僕もその後、仕事の関係で名古屋に移り住むことになり、ちょうどタイミングも良かった。かくして僕は今や伝説の(後の生徒たちが「トラの穴?」と名づけた)イサト教室の卒業生第1号となった。後年、大阪に立ち寄った際、梅田ナカイ楽器をのぞいたら、アコースティックギターの展示コーナーに新聞記事の切抜きがあって、「押尾コータローさんも当店のギタースクール出身!!」と、大きく貼ってあった。イサトさんは本当に多くの種を蒔いた人である。 

 名古屋へ移り住んだ後も、イサトさんとは最低月2回以上は電話で長話をし、かれこれ年7~8回は会っていた。場所は、大阪、名古屋に限らず、東京、金沢、福井、岐阜、四日市、神戸など、いろんな場所でいろんな形で一緒に仕事した。そんな関係も10年以上続いた後、このビデオの出演依頼を受けた頃はさすがに連絡を取り合うことも減ってきて、数年が経っていた頃だったと思う。

 イサトさんも大阪から東京へ引っ越してしまっていたはずだ。当時、イサトさんは既にKMPから教則ビデオを何巻かリリースしていた。そしてある日、「今度、エレアコの使い方を紹介するビデオを作るんで一緒に出てくれへんか?」と、連絡があった。「ギターの解説の後、デモ演を2曲一緒にやりたい。」とのこと。詳しいことは後に連絡するので、とりあえず僕には、ピエゾピックアップのコーナーをギター持参で解説できるよう準備しておいてほしいとの事だった。

 その時の連絡で他にわかったことは、出演は僕ともうひとり三好君が出演するとの事だった。彼とは昔、合歓の里で会っている。当時は東京からエントリーしてきた倫典教室の生徒さんの一人だった。当時、倫典さんをいろんな形でサポートしていた存在である。僕たちの周りにはいつもそういう人がいるけれど、ギターは好きなんだけれど、自然と弾くよりもメカニック的な方に凝ってしまう人たちがいる。僕の分類基準から言うと、彼もそんなギター好きの一人に数えられる。

 

 合歓で会ったその後、彼はMファクトリーなるブランドで、ピックアップシステムを売出した。今や、国内の音にこだわるアコースティックギタープレイヤーの殆んどといってもいいくらいのメンバーを相手に、このシステムは浸透している。このシステム誕生もイサトさんの存在が大きい。それまで神戸のヒロ・コーポレーションとイサトさんが共同開発したピックアップシステムを、更にグレードアップしたのがこのシステムだ。

 ほぼ、生音を忠実に大音量で再現してくれるこのシステムは、アコースティックギタープレイヤーにとっては本当にありがたい。エレアコと称されるギターは、ギターメーカーが製造工程の中でピックアップをギターに仕込んで完成させる。使う側にしてみたら、ギターそのものは選べない。しかし三好君のこのシステムは、自分のお気に入りのギターに取付けてもらう。これなら100%気に入った組合わせが実現する。(もっとも、自分のお気に入りのギターに穴を開けてピックアップを取付ける勇気と一大決心は、アマチュアにとって並大抵ではないが。)ともあれイサトさんと彼の生み出したこのシステムの存在は、日本のアコースティック界に大きな恩恵をもたらした。特にマイケルヘッジス登場以降のアコースティックギターのサウンドの進化は、このようなシステムなしには対応できない。

 というわけで、このビデオ中、僕はピックアップシステムがあらかじめビルトインされたギター側代表という立場で話を進める役割を負った。三好君は市販のギターに後からピックアップを取付ける、セパレート式代表である。

 誰も信じてくれないだろうが、このビデオ中の会話の全容は、あらかじめ打合わせしていない。前の夜、イサトさんたちと同じホテルへスタッフ、出演者全員が泊まったのだが、ろくに打合わせというものはしなかった。ディレクターというのも若者で、イサトさんに意見するほどの存在が当日のメンバー構成の中に居なかった。みんな大御所に頼りきっている。結局、全員で飲んで、その後も久しぶりに会ったイサトさんと三好君と僕の3人はイサトさんの部屋で深夜までギターの話をして終わってしまった。酔った三好君は、自分がビデオに登場するときの第一声をしきりに練習していたのだけが今も鮮明に思い出される(笑)。

 あっという間に朝が来て、スタジオへ向かい、ピンマイクを体に付けてもらい、テーブルに腰掛けた。ビデオは最初にビルトイン型の説明から始まる。確かに、この方が一般的なので話を進めてゆく上で視聴者にはわかり易い。そこで僕が最初からいきなり登場することとなる。・・・きっと駄目な部分があったら、何度も取り直すのだろうと思って、気楽にイサトさんのペースに合わせて話し始めた。イサトさんは僕の登場を“さん”付けで紹介した。いつも呼捨てか、“くん”付けなので気持ち悪い・・・。カメラが前で回っている手前、お互い、かしこまった空気の中で話は進んでいった。それでも一通り僕の担当の解説が終わりに近づいた頃には雰囲気も打解けてきた。イサトさんは「シオミ君とは後ほど一緒にデモ演を」と言って一度の取直しもなく無事?に、僕のコーナーは終了した。  

後編につづく

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