​エレアコ誕生物語(その3)
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 単身敵地に乗り込んだような状態で楽器店に行き、そこの店長、担当者達に自分のペースでギターの説明をしてのけるには秘訣がある。秘訣と言ってもごく単純なことだ。演奏技術を信用させることだ。いくらギターに対する弁が立ったところで演奏が下手だったら説得力がない。その点、当時の僕の演奏は目を引いた。大抵の人はクラシックギター演奏でしか、ギターソロを聞いたことの無い時代に、目の前で僕の弾くスティール弦のアコースティックギターでのフレーズ(曲ではない。まさか、楽器店の店頭で商談中に突然、1曲全部弾くほど厚かましくはない)には大抵の人が驚く。そこから先はこっちのペースである。

 ところがなかなかそこまで持ち込めないのが商談のもどかしさだ。売り込みの商品であるギターはまず楽器店の従業員さんが触る。話している間中、彼が弾いている事はよくある。それを取り上げて厭味ったらしく弾くわけにはゆかない。結局、売り込みにはいつも苦労することになる。決して誉められたものでもない退屈な演奏を聴かせながら、一人前に僕に意見してくるのである。

 そこで、僕が考えたのが本の出版である。要するに自分が業界で有名人になれば、おのずと僕を迎える店の従業員の態度が変わるはずである。そんな訳で冒頭の写真となる。これは今は無き“新譜ジャーナル”という、フォーク全盛の時代には知らない人は居なかった有名な老舗月刊誌である。小さくて見えないが文/・・・・として僕の名前が書いてある。こんな活動を細々と積み重ねて、教則本の出版に漕ぎ着けた。それからは店の従業員さんも会った時の態度が違ってくるようになった。行った先々の店の本棚に僕の出版した教則本が並んでいるのだ。次第に僕はギターを弾かなくても優位な立場で話を進められるようになっていった。

 

 さて、楽器店対策もさることながら、肝心の一般ユーザーにどのようにこのギターの魅力を知らしめるか。その解答が“有名アーティストの使用”である。これには2段階あった。まず最初は海外有名アーティストの使用のニュースである。イーグルス、デイヴ・メイスン、カンサス、スティーブ・ルカサー、もちろんライ・クーダーなど、そうそうたるメンバーである。これらの人達が使ったというニュースは第2段階として国内のプロ達を反応させる。大滝永一、財津和夫、岡林信康、世良正則、チャゲ&飛鳥達が次々に使い始めたといニュースが耳に届いた。

 有名ミュージシャンになると、楽器など機材は買わなくていい。どこかしら楽器メーカーがステージで使って欲しくて持って来る。自分は気に入ればそれを使えばいい。メーカーはそれで宣伝になり、一般ユーザーに買ってもらえるので、メーカーも充分元は取れる。また、ミュージシャンに使ってもらう事は、宣伝効果意外にも、開発上のデータ集めという側面も持っている。

 しかし弱小メーカーにとっては有名プロとの付き合いは厳しい。楽器業界には誰でも知っているY社というガリバー企業が君臨している。それは楽器のどの分野においてもガリバーである。開発費、宣伝費の桁が違う、スタッフの数が違う。これらを正面から相手に宣伝で勝とうなどとは夢にも考えられない現実がある。

 我がTブランドの場合、前述のアーティスト達は皆自分で楽器店で買って使ってくれていたのだ。その人達をつかまえて、宣伝に名前や写真を使わせて欲しいなどと、ムシのいいことを頼むわけにもゆかない。彼らは単なるユーザーなのだ。彼らの音楽事務所にそれらの話を持ちかけると、見返りにパンフレットに宣伝を入れろとか、ツアーで何らかの協賛を求められたりする。プロはタダでは動かない。

 あるグループでこんな経験がある。長年ヒットが無くて地味な活動を続けていたそのグループは、1曲のヒットと共に瞬く間にスターダムにのし上っていった。売れないこ頃、うちのブランドのギターを自分達で買って使ってくれていたところ、運よく売れ出す寸前のタイミングで1本無料提供した。(当時、僕の会社は無料提供などトンでもなかったのだが)その時は、たった1本の無料提供でも感謝されていたし、ステージでは今まで自分で持っていたものと、新しく提供されたものを一緒に使ってくれていた。ところが2ヶ月ほど経ったある日、コンサート会場の楽屋を訪ねて行って愕然とした。楽屋にはY社のギターが20本くらい所狭しと並べられていた。「この中から、好きなものを何本か選んで下さい。」という訳だ。こうなるとよほど機能面で差がなければ、バックアップ体制が大きくモノをいう。あの圧倒的な物量の投入体制には太刀打ちできなかった・・・。

 

 ともあれ、僕がエレクトリック・アコースティックギターとネーミングしたこのギターは誰とも無く“エレアコ”と呼ばれるようになり、今や世界中でギターのひとつのカテゴリーとして市民権を得た。同じころ発売されたライバル会社ではY社が「エレクトリック・フォークギター」と呼び、A社は「アコースティック・エレクトリックギター」と称して発売開始された。まだ、登場した当初はそれらのマイクの付いたアコギに対して統一された呼び名は無かったのだ。結果はのちに時代が判断した。

 今では当たり前の基本スペックの中には当時冷や冷やしながらそれまでのタブーに挑戦したものがある。

①ブランドロゴを弾いている時に読めるよう、横に向けて貼ったこと。 ②シングルカッタウェイを各機種に導入したこと。③ボディ形状の標準をドレッドノートからトリプルOに変えたこと。④そして、冒頭に言ったコントロールツマミをスライド式でスタートしたことである。

 さらに僕にはささやかな自己満足がある。それはカタログ造りのことだが、今でもよく見かけるがギターの機種別写真の横にスペックを書く際、品番の下に英文でスペックを入れるのだ。どうせTOPとかSIDE&BACK位の英語なら誰だって読める。それだったら、英語のほうが絵的にキレイでサマになる。それらの手法は今も多くのメーカーのカタログに見ることができる。また、使用アーティストの写真をカタログの巻末にふんだんに取り入れたのも、僕が意識的にやって大成功したスタイルだ。ユーザーは有名アーティストが使っていることを知り、安心してそこの製品を買う。あるいは自分のあこがれのアーティストと同じものを持ちたがる・・・。

 

<エレアコ誕生物語   最終話に続く>