​量産ギター事情
台湾2.jpg

 1970年代後半から、量産ギターの世界的な主要生産国は台湾と韓国だった。それまでは日本がその地位を占めていた。この写真はその頃、僕が台湾のとある工場へギターの検品に来ていた時の写真。 一番右側の人がここの工場長さん。僕にとって始めての海外旅行、そして初めてのギターの技術指導経験をした仕事だった。

 ギターは言うまでもなく木工製品である。これは厄介な事に品質が不安定である。「湿気が大敵」なんて事はよく言われる。量産ギターの不良品となる原因は大きく分けて二つある。ひとつは材料の何らかの不具合によるもの、そしてもう一つは作業員の人的ミスである。特に量産ギターの場合、後者の人的ミスが圧倒的に多い。なぜ多いのかは歴然とした理由もある。つまり彼らの工場(あるいは国)にはその製品を使える(ギターを弾ける)者がいないからである。

 弾ける人間がチェックしないと適正な弦高の具合も解からない。音のビレなんてまったく気にするはずもない。そのため僕のような者が現地へ行って、ギターが日本に入ってくる前に出荷前に検査するわけだ。日本に入ってきてから蓋を開けて不良品の続出では商売にならない。修理に手間も時間も金も費やさなくてはならないし、返品も海外相手ではままならない。

 通常、ひとつのコンテナにはギターが500本弱積める。運賃の効率上、当然コンテナには目一杯ギターを積みたい。ギターの検品は1日あれば、たとえ全数チューニングして弾いていも500本くらいはできるので、予備日を見ても2日あればワンコンテナ分の検品は終わる。ところが、この時の僕にとってのはじめての海外出張は悪夢のような出来事が待っていた。

 出発前にも悪夢というほどではないがひとつ問題が発生した。この頃の僕はかなりに長髪だったのだが、当時の台湾は髪の毛が耳にかかると、空港でバリカンで刈られるというのだ(耳が見えていないとダメらしい)。そこでやむなく長髪を切り落とし、毛を全部耳にかきあげてどうにか入国を果たしたのだ。

 当時台湾には徴兵制があって、19歳頃から2年間若者は全員兵隊に行っていて街には居ないのだ。そこへ長髪の者が入ってきて国の若者を刺激するなと言う事らしい。この3年後くらいにもう一度台湾に行った時は街のあちこちに長髪の若者を見かけた。それは当時の台湾の不良青年だったらしい。(時は巡って2000年9月、翌日に台湾へ初めて行くというピーターフィンガーに会った。「昔は台湾に入るのはこうだったよ」と言って、彼の奥さんと一緒に笑い話したことがある。・・・ピーターはその時すでに毛が薄くなっていた。)

 話は台湾の工場にもどるが、1日で終わりそうな検品が不良品をはねてるうちにギターが無くなってしまって、一から造らなくてはなならなくなった。当初ワンコンテナ分の約500本のギターは実際用意されていたのだが、僕が打痕、ビレ、ネックそり、仕上げ不良等ではねていく中で修理して検査を通せる程度の不良品はごく一部で、大半は造り直さなくては船積みは許可できないものばかりだったのだ。

 はねられたギターはどうなるかと言うと、僕の会社が買うのとは別のブランドをつけて、違う国、または違う会社へ安く売ってしまう。例えばサンバーストと呼ばれる塗装方法や、カラー(塗りつぶし)ギターは少なからず製造途中に何らかの木部のアクシデントがあって、それを塗りつぶすために設けられる場合がある。

 それはさておき、いちから造るとなると最短でも2週間ほどかかってししまう。出張の予定は3泊4日だったのに、である。

 例えば不良品とはこんな具合だ。まず、僕は量産ギターでもキチンとA=440Hzにチューニングする。もちろん演奏を始めるわけではないので1本に10秒程度のおおよそのチューニングで良しとする。その時点で「バキッ」と音がして、ブリッジが剥がれるギターがある(30本中1~2本かな?)。もちろん、その時のロット(同じ時期にまとめて製造した単位)にもよるが、特に当時の台湾、韓国の工場のレベルでは前述の通りギターを弾ける人がいないので、正規の高さにチューニングして検査するという基準がないようだった。従って本来使用される時の状況と同じ負荷がブリッジにかからず現地の検査を通ってしまう。日本についてからブリッジが飛んだら大きな損失を被る。

 その工場には別棟にアメリカからGibsonのインスペクター(検査員)が同じ頃来ていたが、彼はどうやって検査していただろう? ともあれ、これはホンの一例で、様々なパターンの不良品の例がある。

 僕は仕方なしに、新たなロットが出来上がるまで工場にとどまる事にした。以来、来る日も来る日も工場の社長さんたちと台湾観光の毎日が始まった。寝泊りも社長の家に世話になっていた。1週間もすると近場で案内してもらうところもなくなり、社長さんたちも随分苦労しただろうと思う。ある日は社長、ある日は工場長とかが交代で、日本から来た客を接待するわけだ。しかし、これも楽しかった思い出ばかりでではない。食べ物が合わずに5日間くらいひどい下痢をした。歯も痛くなって歯科医院で歯も入れた(その品質がこれまたすごかったが、紙幅の都合でここでは取り上げない)。

 一番辛かったのは、工場の大半の従業員が僕を敵視していることだった。彼らが苦労して作ったギターを僕がホンの数秒の検査でダメ出しをする。すると僕に付ききりで検査結果を記録している社長がその不良箇所の原因を作った製造部署の作業員を呼んで叱る。ところが叱られる内容がギターを弾かない彼らにとってみれば、なかなか理解できないものも多い。彼らにしてみれば「あの日本人、なんでこんな細かい面倒なことを指摘すんだ」となる。

 ポピュラーな音楽向けの量産ギターを造るという行為には皮肉な状況が用意されている。そういった音楽が流行する国は豊かな国で、それらの国は当然労働者の賃金が高い。従って自国では低価格の量産ギターの製造はコスト面で合わない。そこでギターを弾けない人たちばかりのいる低賃金の国でギターを造るという不幸な状況が生まれる。

 機械製品なら、仕様書に従って安い人件費を有利に使って機械化された工場で安定した製品がきるのだろうが、木工製品の、しかもギター(直線的な細工を施す家具とかと違ってギターは曲線的で、しかも音を出すのが目的で造られる)は、ある程度の熟練した人的作業を要する工程が少なからずある。

 日本も高度経済成長と足並みを揃えて、エレキブーム、フォークブームを経て国内で造られるギターの品質は徐々に上がっていった。それと同時に賃金水準も。その過程で価格が勝負の量産ギターの受注は台湾、韓国の工場に奪われていった。大量の消費国アメリカは常に一定のコストと品質に応えられる生産国を求めて発注先を替えてゆく。

 皮肉なことに、工場内で学生時代からギターを弾くのが趣味で「働くんだったらギターを造ってみたい」などど考えて入社する若者が各工程にチラホラ目立ち始める頃、その工場が初心者向けのギターを生産していたとしたら、先の受注はそう長くは続かない時代に入ってきているのだ。