​グレッチと言えば、チェットアトキンス!
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 この写真ではバックの建物に書いてある文字がよく読めないが、通ならすぐ気づいてもらえるこのロゴ、そう、僕の後ろにあるのはGRETSCHの工場である。残念ながら工場の中は撮らせてもらえなかったので、この写真しか残っていない。

 GRETSCHは1800年代の末頃からドラムなどを作り始めたのがスタートだった。僕たちはGRETSCHと言うとすぐにギターを思い浮かべてしまうのだが、ジャズの世界ではGRETSCHドラムの木胴は音に定評がある。

 GRETSCHと言えば何といっても偉大なるギタリスト、チェットアトキンスと切っても切れない結びつきを浮かべてしまう。チェットを語らずしてGRETSCHは語れない。ギタリストとギターメーカーとの結び付きは、昔から数多くの例がある。何といっても圧倒的な知名度はGIBSONのレスポールモデル。チェットと同世代のギタリスト、レスポールの名前を冠したモデルはあまりに有名である。

 しかし、これはGIBSONの数多くある楽器(エレキギターだけでも)の中で、特にひとつの機種がが個人のギタリストと結びついただけであるのに対し、GRETSCHとチェットはブランド全体が重なってイメージされる。今ではストレイキャッツのブライアン セッツアーがGRETSCHの人気を一人支えている感があるが、GRETSCHを広めたギタリストと言えば圧倒的にチェット。そして一時期ビートルズのジョージ・ハリスン(蛇足までに言っておくが、ジョージにとってチェットは憧れの人だったのだ)が、その一翼を担っていた。

 ミスターギター、キング オブ カントリーギター、カントリーギターの神様など、その人生においてギター弾きにとって最大級の賛辞をほしいままにしたチェットは1924年生まれ、9歳の頃ギターの演奏を始めたようである。1941年と言うから17歳の頃、マール・トラビス(ギャロッピングギターの始祖と言われている)のギターに影響を受けてフィンガースタイルのギターを始めたが、プロに成り初めの頃は「マールの真似」と、人々の反応は厳しかったようで、本人も自分のスタイルを確立するのに苦労した時期があったようだ。 彼の数多くのギター界における偉大な功績の中でサムピックの考案がある。自宅の近くでギター弾きが、歯ブラシの柄を磨いて作った物を指に巻いて弾いていたそうな。それを見てチェットがサムピックを考案したという逸話がある。

 GRETSCHの中でも特に有名なモデル“カントリージェントルマン”の昔のモデルには、弦を1~3弦と4~6弦を分けてミュートできるようにスポンジの付いた装置があった(おまけにボディバックには、ボタンでバチバチ取り外しのできるクッションまで付いていた)。ツマミがボディに2つ(6弦側と1弦側に)付いていて、これを動かすと、弦の下からスポンジを貼った金属の棒が弦に向かってせりあがって来るのだ。こう言った考案もきっとチェットのアイデアに違いない。昔は僕もサムピックには随分とお世話になったが(いつ止めたかは、エッセイのステファングロスマンの項を読んでほしい)サムピックは指の伸びる方向と直角に弦に向かっているので、慣れると非常に弾きやすい。しかもベース音を力強く弾ける。サムピックをつけて尚且つ右手で弦をミュートして、アクセルとブレーキを同時に踏んだような状態で出す独特のベース音が、ある種の曲には欠かせない。これまたGRETSCHのギターにはそのベース音がよく似合う。

 さて、僕がこのGRETSCHの工場を訪れた頃は、チェットがGIBSONのギターを使い始める少し前かそんな頃で、GRETSCHという会社が最も元気のなかった頃である。工場の事務所は古いバスの中で、洒落ていると言えば言えなくもないが、お粗末なところであった。工程内ではギターと一緒にドラムも流れていて雑然としていた。こんなところで作られるギターが日本へ来ると何十万円もするのか・・・。とつい思ってしまった。しかし、韓国や台湾のギターメーカーと決定的に違う空気を味わったのは、ここで造っているギターはまぎれもなくコピーではなく本物だったことと、最終工程で調弦をしていたおじいさんの存在だった。

 作業台の正面には、チェットと一緒にとった写真が貼ってあった。そのおじいさんはバンジョーが得意だそうだが、そのチェットと一緒に撮った写真は自分の自慢のようだ。やはり、アメリカでギターを作っているところを見ると、その独特の空気で圧倒されてしまう。GRETSCHというメーカーは車で言えばキャデラックのようなアメリカを感じさせてくれる。理屈を超えた存在だ。

 チェットは後年1980年前半にGRETSCHとの契約が切れ、GIBSONのギターを使い始める。そのモデルはナイロン弦のソリッドギターという、これまた当時なかった新しい提案だった。今ではひとつの組み合わせとして当たり前になった感のある、ナイロン弦のソリッド。これもそれなりにチェットの功績に数えられるのだろうが、やっぱりチェットにはGRETSCHを持ち続けて欲しかった。

 僕が聴いたフィンガーピッキングのギタリストで初めての外国人がチェットだった。もっとも意識しないでも、天気予報に、交通情報に、チェットのインストルメンタル曲はたくさん、日常の身近なところで流れていたのだ。これほどポピュラーに身近にギター音楽を広めた人は他にいない。

 チェットは2001年6月、77歳の生涯を終えた。翌日の朝日新聞にチェットの訃報記事が出たが、そこでのチェットの紹介文はあまりに通り一遍で(一般のギターを知らない読者には、これくらいで丁度なのだろうか)「チェットは生涯、自分の凡庸さと闘っていた」などと書かれていて、残念だった。ギタープレイヤーとしてのチェットはスーパーマンである。僕がチェットで好きなところは、レギュラーチューニングが多いことである。これはプロレスで言うところの、ストロングスタイルというやつだ。(変則チューニングは?って、それは覆面レスラーみたいなものでしょう・・・)ポピュラーな曲を数多く手がけ、この人のギターへのアプローチの仕方は、大いに参考になった。

 僕がギター音楽に目覚めて間もない頃、初めて手に入れたチェットの楽譜集では、松屋の屋上で法被を着てカントリージェントルマンを弾いている写真がある。当時、一度に2曲同時に弾いて日本人をアッと言わせた、という逸話も聞いたことがある。それにこの人は手が大きそうだ。あるアルバムの写真では、ガットギターを弾いている時、小指で2弦~4弦をセーハしていた(1弦は浮かせている)。

 

 僕はギターを通しては、おおよその憧れを体感してきた。自分が一生懸命ギターに夢中になり続けてさえいれば、それらの機会は自然にやってきた。きっとチェットともいつか会えるような気が常にしていた・・・。結局、僕は楽器業界を離れ、気が付けばチェットはいなくなってしまった。