​TAKE IT EASY と言っていただけますか?
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 CSN&Yのマネージャーだったデヴィッド・ゲフィンが1971年に設立したアサイラム・レコード。そこからはイーグルス、リンダ・ロンシュタット、ジョニ・ミッチェルといった、ウエストコーストを代表するアーティストが次々と輩出された。その中でも、影に日に、もっとも信頼されたアーティストがジャクソン・ブラウンだったのではないだろうか。プロデューサーとして、ソングライターとして、またある時はバックミュージシャンとして様々なアーティストと関わって活躍している。

 これらの「アサイラム系」の音楽は当時の僕の“アメリカ”イメージそのものだった気がする。大好きだったボブディランも73年にCBSからアサイラムに移籍。初のザ・バンドとの共演アルバム「プラネット・ウェイブス」をリリースした。

 このアルバムに収録されている「GOING GOING GONE」という曲は、僕が知るボブディランの曲の中で一番好きな曲だ。歌詞は全く何を言ってるんだか理解不能だが曲がいい。それにまたザ・バンドのロビーロバートソンのギターがすこぶるいい・・・。ディランの個性的な歌声に負けず劣らず、ロバートソンのひとつ一つの音を千切ったようなギターの音色の個性は、最高に似合った組み合わせだ。

 1966年にオートバイ事故を起こし、その後ろくに目立った活動をしてこなかったボブディランは、当時、変なアルバムばかり出していた。映画に出演したりもした。フォークの神様のように崇められていたこの人が、何かとりとめも無く、これから何処へ行くのか?何を考えているのか?世界中のファンは煙にまかれていた時代だ。どうやらCBSレコードとの何らかの契約問題を抱え、やる気をなくしていた時期のようだ。ようやく、それが解決し(たかどうかは定かでないが)、前述のアサイラムから発売されたこのアルバムは、ディランが“本気”で創ったようだったし、僕らが望んだディランがようやく8年ぶりに帰ってきたのがアサイラムだった。

 

 当時の僕はレコードレーベルなんぞに関心は無かったし、それがどういう意味を持つのかも知らなかった。たまたま気に入って買ってくるレコードはなぜかターンテーブルに乗せると、どれも中心に青空の写真と重そうな木の扉が描かれていた。それらのレコードはアーティストは違っても、フォークやカントリーの要素と、アコースティック・ギターが中心で、聴き易い歌とハーモニー、そして人間味にあふれる歌詞で創り上げられた曲とかが共通していた。 

 歌詞と言えば、この人ジャクソンブラウンも“70年代最高の詩人”とまで言われた人である。(そうするとディランは60年代の最高なのだろうか? なにしろノーベル賞まで受賞した詩人なのだから)生まれは1948年旧西ドイツ。1966年、南カリフォルニアに移り、ロスアンゼルスのクラブへ出入りするようになり、ニッティー・グリッティー・バンドに入った。その活動はすぐに終わり、1967年にはグリニッヂ・ビレッジに行き、ティム・バックレイ等のギタリストを勤めた。その後60年代後半から70年代初期頃には彼のソングライティングの才能に評価が集まり、リンダ・ロンシュタット、ボニー・レイト、バーズ、等の有名どころにオリジナル曲が取り上げられた。僕が彼を初めて知ったのは、イーグルスのグレン・フライと作った「TAKE IT EASY」である。

 この写真を撮ったのは1987年愛知県勤労会館の楽屋通路だった。ジャクソン・ブラウンには以前から、アメリカのスタジオで白いギターを持って撮ったきれいなポジが送ってきてもらってありカタログにも使わせてもらっていたので、この日あえて宣伝効果的には会う必要性は無かった。

 あまり思い出したくも無いが、当時僕は不本意にもエレキギターの開発に携わり、この日はそのプロトタイプを持って彼の元へ訪問していたのだ。僕はそのエレキギターのスペックに対しては、決して意見を挟んでいない。それをするとアコースティックに対して自分が行なってきたことの信頼を損なうと考えていたからだ。アコースティックギターに関しては、僕の意見によりスタートしたギターが工場を始め、多くの関係者を巻き込んで製作し、世に送り出してユーザーの手に渡ったとしても大丈夫という自信があった。

 それに相応する知識と経験が僕にはあるからだ。しかし僕はエレキギターを買ったことは無い。エレキギターとの関りはビアガーデンバンドをやっていた時代にボーカルをしながらレスポールモデルを弾いていたことがあった程度。それではボブディランがエレキギターを持っているのと変わらない(笑)。そんなレベルで、たまたま立場が与えられたからと言って、偉そうにエレキギターのスペックに口を挟むことはしたくなかった。だから開発ではカタログ作りくらいしか指揮を執らず、もっぱらだんまりを決め込んだ。他の開発担当者がどれだけエレキギターに習熟しているのかは僕の知ったことではない。それは彼の良心と熱意に委ねるしかない。

 

 ただ、結果的にこのギターは売れなった。何が原因か? 様々な要因が挙げられると思う。僕は始めから売れるとは思えなかった。それが全てのような気がする。よほど魅力のない製品でも不良品でさえなければ莫大な宣伝費の投下によって、一時的に需要が生み出される事だってあるかもしれない。しかしそれさえもしていないこのギター、知る人ぞ知るという具合に玄人受けする技術的な優位性があったわけでもない。ただ営業施策上の都合で生み出されたエレキギター「T」は瞬く間に市場から消えていった。

 市場にこんなギターが登場したことすら知らないままのエレキギターユーザーも多かっただろう。僕のギター開発経歴の中で丁度それは、ボブディランが沈滞した時代に出して不評だった「セルフポートレイト」というアルバムのような時期だったのかもしれない。(ちょっと大げさか?)

 それにしてもジャクソン・ブラウンさんには、そんなギターを快く持っていただき、写真にまで納まっていただいた。・・・思い出すと、いまだに申し訳ない気持ちで一杯である。

 そんな苦々しい思い出と共に、ジャクソンブラウンというアーティストの名前と同時に覚えたこの言葉“TAKE IT EASY”『くよくよしないで、のんびりと、気楽に・・。』は僕にとって、どんな場合でも忘れたくない大切な言葉として、常に心のどこかに仕舞ってある。