ステファン・グロスマンに感謝していること
この写真を取った時の詳細は、前項のJOHN RENBOURNで詳しく記載している。この時の軽井沢はけっこう寒く、上野駅で行きの列車の乗り換えの時間調整の時、イサトさんが「軽井沢は寒いから、そのままの格好では寒いで」と言ってくれ、写真で着ているパーカーを急遽アメ横へ行って買ったことを覚えている。
僕はこの時のWORKSHOPで、STEFANからはギターを習わなかった(WORKSHOPでは、彼に習いたいと言う希望者の方がだいぶ多かった)。当時、彼のレコードは何枚か持っていたし、何曲かは彼のレパートリーをコピーもしてみたけれど、正直あんまり好きになれない。しかし、この写真の当時1970年代というと、日本盤で出ているフィンガースタイルギターのレコードと言えば、東芝EMIから出ていた、この人のものくらいしか見当たらなかった。だから当時とってもつまらないけど、きっとギターが上手くなるためにはこんなのを我慢して練習すれば自分のためになるんだ(笑)と思って、健気にも何曲かトライした次第である。(何しろ親切にレコードにはTAB譜も入れてくれてあったし・・・。)
こうしてSTEFANのことをボロクソに言っている僕ではあるが、ひとつだけこの時の出会いで彼に深く感謝しなければならない、のちの僕のギター演奏に重大な影響をもたらしたアドバイスがある。
それはとっても大事な右手の弾き方に関することだ。当時、彼と会うこの時まで、僕はインスト曲を弾くのにすべてサムピックを使っていた。これはもちろん師匠イサトさんの影響である。ところがSTEFANはイサトさんと僕に向かってサムピックをやめろと言うのだ。それも、しきりに何度も繰り返してくどいくらいに言う(この時、僕はSTEFANから習っていないのに何でなのかというと、近くで僕が弾いているのを2日間の中で何回も彼が見て、話し掛けてくるからである)。リチャードラスキンの曲を好んで弾いていた僕に、彼は「リックの曲だね」と、知っているようだった。
今にして思えば、当時の僕のギター歴なんてたいしたものではなかったかも知れない。しかし、当時蓄えた全レパートリーをサムピック無しで弾くというのは、けっこう骨の折れる、勇気のいるトライではあった。僕は名古屋へ帰ってからしばらくその事が気にかかっていて、とりあえず親指の爪を伸ばし始め、サムピックを外して練習しはじめた。愛用のドブロのサムピックの使い方にもちょっとしたノウハウがあって、僕は新しいサムピックを買うとすぐに爪切りとヤスリで、自分の理想的な長さと、弦にあたる角度を作り出して使っていた。・・・にもかかわらずである。
闇雲にSTEFANの言うことを信じたわけではないが、「同時に会ったJOHNも付けなくて弾いていたし・・・。」という事で、とりあえずこの時のアドバイスを信じてサムピック無しで弾いていた。
数日後、効果が少しずつ実感できた。生指から少し遅れて爪が弦に触れる音に病み付きになった。また、弦を生の指で触れる感覚は、それまでより、一段とギターが身近に感じられる。しかしレパートリー全体を通じては、特に速い曲で指が弦にまとわりついて、もたつき、上手く行かなかった。
そんなある日、イサトさんと電話で話した時に「ボクはSTEFANの言うとおり、サムピックをやめて練習している。」と言った。僕と同様にSTEFANからサムピックをやめろと言われていたイサトさんは「僕は日頃のコンサートがあるので、一気にサムピックをやめてしまうわけにはゆかない」と言っていた。
つまりプロは連日の演奏活動があり、練習途上の状態で人前で試すわけにもゆかない訳だ。結局、完全にサムピック離れをしたのは僕のほうが早かった・・・。
そんな訳で今ではSTEFANには感謝しているのである。
ところで冒頭の写真、イサトさんのシャッタータイミングも悪い。)これは当時僕の使っていたMARTIN/0-18(1959年製)の側板の修理跡を興味深そうに覗き込んでいるところである。ちなみに写真上にマジックで書いてあるのは、撮影の約2週間ほど後に名古屋のコンサート会場で再会した時にらった、彼のサインである。