​鬼才、デヴィッド・グリスマンの息子
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 これは1980年代のいつ頃だろうか? 名古屋のボトムラインというライヴハウスでの記念ショット。隣は通訳のⅠ君(ブルース・スプリングスティーンの通訳でも登場している)である。 

 この年、2年毎に開催される楽器フェアが東京であった。この当時は科学技術館というところで開催されていた。“楽器”フェアとは名乗っていても、その会場での喧騒は想像を絶する世界で、主役は音の大きい電気・電子楽器でなのある。各メーカーのブース(展示区画)ではそれぞれの新製品が並べられ、訪れた客達が好き好きに触るので音がとにかくやかましいのだ。

 僕は残念ながら客の立場でこれに参加した事がないが、あんなにやかましい会場に入場料を払って、しかも通路で缶詰状態になって何時間もいることは耐え難い苦痛であると思うのだが、東京近郊に住んでいる楽器好きの連中にとっては恵まれていると言えなくもない。ここには国内外の有名プレイヤーが大勢やってくるし、カタログや情報集めにはもってこいのイベントではある。

 

 楽器フェアは毎回秋に開催される。これがある年には、各メーカーは秋を目掛けて新製品を開発する。製品を企画し、カタログを作る。各社ブースにエンドース(使用契約)しているアーティストにデモ演のために来てもらうためのスケジュールとギャラの交渉や、ステージの演出、そして会場造りのための内装業者との折衝等、たった4日間のために半年以上前から関係各方面と調整を進め、会期中の4日間でヘトヘトになる。

 そうやって迎えた当日、主役はあくまで電気・電子楽器でなのある。だいたい、そんなに都合良く新製品が開発できるのは、これらの楽器くらいのものだ。アコースティックメーカーは会場の中でひっそりと4日間、嵐の様な電気・電子楽器の音が通り過ぎるのを待つだけだ。以前、僕の会社のブースの向かいがドラムメーカーのP社だったことがある。この時などは最悪の4日間であった。

 そんな中、この時の楽器フェアでは、ひとつの楽しみが僕にはあった。冒頭のDAVID GRISMANがアコースティック関連の商品を取り扱うS社のブースでデモ演を行うというニュースを事前にキャッチしていたからだ。知らない人のために言っておくが、DAVID GRISMANはマンドリンプレーヤーである。それも、鬼才と言われるほどにその才能は他の追随を許さない。孤高のマンドリンプレーヤーである。

 一応ジャンル的にはブルーグラスの分野に入るプレーヤーなのだろう。僕はアコースティックギターが好きなのだが、ブルーグラスは嫌いである。特にバンジョーが入る音楽は駄目である。その僕が、彼のバンドDAVID GRISMAN QUINTETのアルバムだけはほとんど持っている。このバンドの構成には電気楽器がない、しかもドラムもない(バンジョーもない)。そんな編成で、素晴らしいスイング感、リズム感・・・他に類のないこの人の作り出した独自の音楽(本人はこれをDAWG MUSICと呼んだ)を生み出す。 ブルーグラスは1945年にBILL MONROE(マンドリンプレーヤー)が創ったと言われているが、DAVID GRISMANはそれと同じ事をDAWGでやろうとしているのだ。使っている楽器は小さいが音楽界の大巨人である。

 

 興味のある方は一度この人の足跡と音楽に触れてみるといい。例えば僕がこの人の偉大さを感じるひとつの例は、TONY RICEのプレイの生かし方がある。TONY RICEはブルーグラス界ではトップギタリストである。このDAVID GRISMAN QUINTETにおける彼のプレイもフラットピッキングでのプレイヤーとしては世界最高のプレイヤーと言ってもいいだろう。しかし・・・である。TONY RICEはDAVID GRISMAN QUINTETだけでなく、自らのバンドTONY RICE UNITなる活動も始めるのだが、惜しむなくは、この中でTONYはギターを弾きまくっているが、まったく空回りもいいとこである。ここにDAVID GRISMANのアーティストとしての偉大さを垣間見る気がする。僕は後に、この“DAWG”という名前をブランド名にしてギターも発売したことがある。それくらい、DAVID GRISMANの音楽には心酔していた。

 

 さて、冒頭の写真の経緯に入ろう。この年、楽器フェアでS社のブースでDAVID GRISMAN QUINTETの生演奏を聴いた。ブースの大きさは間口5メートル、奥行き7~8メートルの小さいブースで、観客はせいぜい立ち見で20名ほど。そして周囲は電気楽器の無秩序な雑音が飛び交う中、彼らは静かに、“生”で、極上の音楽を聴かせてくれた。何と勿体無い光景だったことか・・・。

 そして、そのステージが1日に数回あったので、僕は何度も自分のブースを抜け出しては彼のステージを見に行っていた。そんなある日、楽器フェアの狂気じみた騒音の中、ふと気が付くと夕方、ブース内が閑散とし始めた頃、うちのブースに彼が立っているではないか?! そして彼は展示してあったエレキギターをじっと見ている。その頃、まだほとんど英語の話せなかった僕は、何とかサインでももらえないかと通訳を探した。そして話しかけると、彼は「息子への土産に、このエレキギターが欲しい」と言う。僕は「判った、お安くしときますよ。」と言って、まんまとその後行われる全国ツアーの「名古屋の会場へ持って行ってあげる」という約束を交わした。

 つまり、この写真の日は僕が、彼に息子の土産のエレキギターを届けに行った際の記念ショットと言うわけだ。その頃の日本の各メーカーなら、彼の名の元にちょっと上手く立ち回れば、エレキギターの1本や2本簡単にタダでもらって帰れただろうに。彼はうちのブースで見かけたブラックに赤のセル巻きを施したレスポールを気に入ったようで、この日8万円定価のギターの代金として4万円ほどを支払ってくれた。

 それにしても、この歴史に残る偉大なマンドリンプレーヤーの息子はエレキギターを弾いているのか?!。 後日、わが息子はこの写真を見て言った事がある。「おとうさん、ラモスと会ったことあるんだ」・・・これがサッカー選手に見えるか?